ひとりの 日曜日に
いちめんの 雪
みつめる わたし
音のない わたし
(1989年)
恋愛詩集「乙姫から浦島太郎に告ぐ」第1章出会い前 by Naomi Otsubo より
この詩の英訳は、こちら。
ひとりの 日曜日に
いちめんの 雪
みつめる わたし
音のない わたし
(1989年)
この詩の英訳は、こちら。
東京ゲートブリッジ(Tokyo Gate Bridge)は、全長2618m。そのうち、海上をまたいでいる部分の長さは、1618mで、レインボーブリッジの2倍もある。もっとも陸から離れた東京湾上に建設された高速道路で、水平線上の小島は、ゴミの埋め立てによってできた中央防波堤(Chuo Bohatei)だ。橋にもいろいろあるけれど、橋に水と空がかかわるとき、数学の美しさを感じる。
火星よりも、地球がいい。
White Mountain National Forest.(ホワイトマウンテン国立森林公園)より。
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樹々が芽吹いてきた。
大理石の結晶のようなものは、二つの屈折率をもっているために、光が物質を通過するスピードが振動の角度によってちがう。これを複屈折という。
もし偏光がこの大理石のような物質を通過したら、ちょっと変わったことがおこる。物質によって、光が二つの垂直振動光線に分けられる。光線が二つの方向をもつことになり、物質を透過するときに2種類のスピードで通過する。もし出て行く光が2番目の偏光を通過したら、ふたつの光線が結合して、光線のスピードの違いから、色や明るさに変化が生まれる。左は、うすい大理石の単純な暗視野像だが、右はこうして生まれた同じ大理石の偏光画像だ。
人間がどのように光を経験するかといえば、簡単なことで、「光を対象に当てて、見えたものを見る」ということになる。光を当てる場所を変えても、影になる場所が変わるだけで、見ているものの固有の姿は変わらないと思う。
でも顕微鏡を使うと、ちょっとちがう。顕微鏡のすばらしいところは、微小なものまで見えて、よく制御された光の照明によって、光の複雑な性質を見せてくれることだ。
ここにトルマリンクリスタル(tourmaline crystal)を顕微鏡でみた画像を載せてみた。三種類の光に当てることによって、トルマリンクリスタルがちがって見える。
まず上の画像は、明視野照明法といわれるテクニックで撮った。一般に顕微鏡でよく撮られる拡大画像だ。これだとサンプルに当たっている光が、サンプルそのものによっては変化しなければ、光の白色の領域まで見える。でもサンプルによって光が散乱したり、吸収されたり、位相がシフトしたりして、光が変わってしまい密度が荒くなり、結局、見えるイメージも変わってしまう。
では、光を横から当てたら、このトルマリンクリスタルはどのように見えるだろうか‥
これは、暗視野照明法といわれ、横から照射するテクニックを使った画像。このテクニックを使うと、サンプルによって光が変質されない部分は、暗い部分を作る。
このクリスタルは、望遠鏡で見なければ、炭のようにただ黒い。それなのに、上のふたつの望遠鏡による画像だと黒く見えない。顕微鏡とちがって、人間の通常のビジョンだと、光がしっかりと制御されていないので、こうした光の特性を見ることはない。
最後は偏光を使った画像。光にはま偏光とよばれる特性があり、音波のように振動するだけでなく、波形が上下、左右に動いて、分布が一様でない。直接偏光は、光が特定の方向に振動する。第二の偏光を、第一の偏光に対して90度傾けると、第二の偏光が最初の偏光をブロックしてしまうが、サンプルは偏光の影響をうけることになる。
この画像は同じ水晶のもので、二つの偏光の間に置かれたもの。クリスタルとクリスタルの損傷部分(玉虫色の部分)によって偏光が変わり、第二の偏光を光が通過してこういう画像となった。画像の密度が高くなっただけでなく、色まで変わった。
上の画像のちがいは、ただ光を変えたことによって生まれたにすぎない。Photoshopなど、使っていない。光は、本当に驚くべきもので、奥深い。