日本の思い出 ~ お花見

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©William Ash  クリックして拡大してご覧ください

この時期、日本のブログをみると桜三昧で、日本中が桜の花で埋まっているかのようだ。メイン州では、やっと雪が消えたばかり。桜の樹も一度しかみたことがない。写真は、大阪の公園で10年以上も前に撮影したもので、お花見の人で木々の下はいっぱいだった。メインの家の窓ガラスから見た外の景色が、こんな感じであったなら‥‥。桜を愛でる人の心よ、桜は散っても、いつまでも幸え給え。

 

「日本の思い出~桜の花より生まれし人々へ」

桜の花のした
家族連れが 学生が 子供が 恋人たちが
歩いてはとまり 歩いてはとまり
まるで 稚児のようだ

ホームレスの人たちが
段ボールの家からでてきて 頭をつきあわせ
みんなで将棋をしている

鳥の声が 犬の吠える声が
カラオケの音が 手拍子の音がする

赤ん坊に 花を指さす母親がいて
その下で昼寝をしているおじさんがいる

コンビニの弁当を片手に 中学生たちがあつまって
地べたで笑い転げ
老人ホームの団体が 車いすを馬のようにのりこなし
バーベキューをしている

なんという所だろう
この人たちは どこからきたのだろう?

春は
得体のしれない空間を浮かばせる
それは 桜の花にはじまり おわる

鳥が 惜しげもなくついばむ花びらが
砂時計の砂のように
ひざを並べ 鮮やかな弁当に
箸をのばす人々に 落ちていく

あー 日本人よ こうして
つかの間の生を祝いながら
ともにのぼっていこう

DNAの螺旋を スルスルとのぼりつめ
桜の花のもとに集まろう
小さな座布団をも分ちあうことを知っている人々には
すわっても なおすわりきれない玉座が そこにある

さあ 日本人よ のぼっていこう
この世のものも あの世のものも
夜桜の下で 星をながめよう
愛でる心にすべてをゆずり、お腹一杯になった人々には
かなたの輝きも またなんて 親しいものに見えるだろう

(©Naomi Otsubo 2014)

 

(注)この詩のオリジナル版の英訳が「Translation:Bates International Poetry Festival 2011」に納められています。詳しくは、こちらをクリックしてください。

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男たちのふとん太鼓

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©William Ash

私たちは夫婦で四国遍路道を、3周ほどしたことがある。体力があった時のことだが‥‥。また、大阪の堺市に住んでいろいろな文化行事を楽しむことができた。今、アメリカの北東岸の隅っこの田舎に住んでも、ホームシックにかかったことがないのは、こうして前に日本に延々と脈づいてきた文化を、十分に楽しむことができたからだと思うことがある。

関西といえば、大阪の堺市の百舌鳥八幡寓の月見祭りは、地に足がついたすばらしいお祭りだ。行政に頼ることなく、9つの町が大切にこの祭りを続けている。町ごとに美しいふとん太鼓をもち、町内のおじさんや青年たちが、編成をくみ、一組あたり50から70人で2.5トンのふとん太鼓を運ぶ。しかも、運ぶだけでなく、お囃子を歌いながら練り歩き、ゆすったりして、房の触れ方の壮麗さを競う。

中でも、本堂へと続く神社の階段になると、担ぎ手の表情が変わる。バランスを注意深くとってふとん太鼓を担ぎながら、危険な階段を数回も往復してみせてくれるのだ。その真剣さたるや、見ている方の顔色も変わってくる。

担ぎ手のこうした一致団結した姿をみていると、観衆のなかの若者たちが、「俺も、かつぎてぇー」とため息をもらしたり、女の子がボーイフレンドに「あんたもいって、ちょっと担がせてもらいー!」などと言っている声が聞こえてくる。

Futon Daiko - William Ash

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