月曜日 目覚めれば 外は白銀の世界になっていた
まわりの音が雪に吸い込まれて消える 静かな朝
こんな日には 逆に
雪をかぶった木々の 聡明な息づかいが感じられる
その下で 「ハーハー」言いながら
早くも 今年初めての雪かきとなった
時折 枝から滑りおちた雪が
首筋とコートの間から入って 体の中を解けて流れる
スコップを放りなげて悲鳴をあげる我を
白装束の森が 枝をもたげて見下ろしてくる
この明け方の雨音は 夢のなか?
潤いのある水音は 春の目覚め?
いや いや これが 冬のやりかただ
今年は まず
晩秋に使者を送ってきた
それはまだ 暖かみを残す光のなかで
裸の木々が浮かび上がってくるような午後だった
青い空から 白い花びらのような粉雪を降らしてきた
ほんの数分のことだった
ところが、数日後には
空全体を鳴らして 北極気団が押し入ってきた
弱い木々を 二日間にわたってなぎ倒し
闇にまぎれて 大地を雪で覆っていった
それを見た瞬間 私の心から消えた
たった数センチの雪の下に横たわっている秋が
凪いだ海に浮かんでいたたくさんのヨットが
豊作によろこんだ赤いトマトが
道ばたに咲き乱れていたオレンジ色のユリが 消えた
私は 冬しか知らない北極の生き物になった
蒔きストーブの前にじっと座って
車のフロントガラスの向こうを真っ白にする吹雪を妄想した。
せいぜい5回ぐらいしかない雪かきが
毎日あるかのように思えて心臓が重くなった
証拠にも無く またコートを買うことを考えた
それなのに……
今朝は打って変わって この豊かな雨音が
懐かしい響きをもって 目覚めをさそってくる
カーテンを開ければ
水をたっぷりと吸って 芝は青く
落ち葉は 前よりも一層、色が深い
息を吹き返したのは 秋か それとも我が心の春なのか?
いや いや もう ぬか喜びさせられるのはうんざりだ
見ててご覧!
冬は 今日14度まで気温をあげて溶かしたものを
明日の朝までに 一気にマイナス5度にして
ブラックアイス(注)に仕上げてみせるから
こうして Thanksgivingのパーティーに
はやる心をくじかせて 急ぐ足をすくうのだ
これが 冬のスタイルだ
こうして 冬はやってくる
毎年 人をやきもきさせながら
しかも 見事に 足取りを変えてやってくる
メイン州に住んで7年
11月から12月のこの変わり目が
どうにもこうにも 好きになれない
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先週のThanksgivingの一週間は、快晴だったり、暴風、雨、雪と天候が目まぐるしく変わった。 ときにマイナス25度ぐらいまで下がるメイン州の冬にまだまだ慣れていないので、ほんの冬の入り口でありながらも、この季節の変わり目は落ち着かない。
(注)ブラックアイスとは、路面にできた薄い氷の膜。テカテカと黒光りして見え、アスファルト上の水のようにしか見えないが、実際には凍結しているので、とても滑りやすくハンドルをとられやすいため、非常に危険とされる。
先週、アーカディア公園(Acadia National Park)のキャディラック山(Cadillac Mountain)に行ったとき、「ビーナスのベルト (Belt of Venus)」と呼ばれる現象をみた。よく見られる大気現象で、地球の影によって、太陽からの赤い光の下が濃紺になって帯のように広がる現象をいう。日の出または日没に、太陽とは反対側の空で見られる。
「詩〜染まるバーハーバー」
眼下のあの町に住む人は 今 この優しい光のなかで
夕飯の支度におわれているのだろうか
薪ストーブをたいて 魚を切ったり 野菜を洗ったりしているのだろうか
別荘に週末だけもどった人は
レストランでワインを飲んで ロブスターなど食べているのだろうか
それとも 大雪のまえに別荘を閉めることで頭がいっぱいになっているのだろうか
みんな なんでもいいから 東を見てごらんよ
海までも ピンク色を帯びているよ
ビーナスが みんなに触れているよ
神社は大好き
長い参道を歩くと 迎えられているような懐かしい気持ちになっていく
大きな木をみると 優しい気持ちになる
お祭りがあれば屋台がでて 大人も子供もみんなが楽しそう
だから神社は大好き
でも わからない
鳥居の内は聖域で 外は聖域じゃない
ということがわからない
神道は八百万の神であり
すべてに神の命が宿るんじゃなかったかしら?
聖域じゃない場所があって いいのかしら?
そんな世界があると 認識していいのかしら?
認識すればするほど その存在は強固なものになるんじゃないのかしら?
鳥居よ なぜ在る?
優美で均整のとれた形がもつ侵しがたい強さは どこから来た?
本当は 何を 守っている?
1968年 あなたが 笑っている
腰に手をあてて 毛糸の帽子をかぶり
緑の縞のセータをきて 茶色のコーディロイのズボンをはいて
ドイツで ポーズをきめて笑っている
4歳であり 4歳でないあなた
あなたは こうしてずっと命のはじまりにいて
生まれでたものに 微笑んでいる
その押さえきれずに溢れでた歓びのなかで 万物は生まれ
今も続く無邪気なクスクス笑いのなかに 万物が生きている
その姿をみると 私にもわかってくる
神は 愛おしむという行為をとおしてのみ
自分を現すことができるのだと それが本性なのだと
4歳であり4歳でないあなた
星の数ほどのキスを 私は贈る
(注)このブログの英語版のほうも、言語をEnglishに切り替えてご覧ください
マグカップをにぎって 朝の庭を歩く
足下の土は 日に日に固くなっていき
バードフィーダーは アメリカコガラに占領され
その下では ドバトがのんびりと 落ちた種を拾うように食べ
シマリスが ほほをいっぱいにしながらも
まだ大急ぎでえさをつめこんでいる
しかし まだ やつの姿はない
今のうちに あの低木を切ってしまおうか?
最初はやせていて 狩りもへたくそ
厳寒の中 バードフィーダーの下に当然のように座っていた
それがこの数年 晩秋にひょっこりとどこからかもどってきて
あの暗い低木の下に潜むことを覚えた
地面のえさに気を取られて
ふらふらと迷い込んできたものに飛びかかり
庭のどこかへいって ひとりでゆっくりと食するようになった
あー いやだ いやだ
ただでさえ寒い冬 わが庭でそんな血が凍るような光景は見たくない
今 低木を切ってしまえば きっとやつもいなくなる
しかし やつは‥‥おそらく‥‥野ネズミもとってくれている‥‥
屋根裏にはいってきて
煙突のまわりに 小さなふかふかのベットをつくって
ぬくぬくとする野ネズミたち
やつなら ねずみ取りにもかからない頭のいいネズミもとれるはず
あー こまった こまった あの黒猫め!
コーヒー片手に散歩を楽しもうと思ったのに
私の頭は 今朝もまた木の下をにらんで 堂々巡りをはじめた
by 大坪奈保美 ©Naomi Otsubo 2013
(注)ひとつ前のブログもご覧ください
「秋の午後」
土曜日の午後
あなたがソファで 横になって眠っている
こんなときは 私も静かな気持ちでいよう
りんごの皮をむきながら
パイ地をのばしながら
台所の窓の外を見たりして
安らかな気持ちで時をすごそう
きっとあなたは今 眠りのなかで
落ち葉をふみながら あの木立の中を歩いている
ときどき、梢の向こうの空をみあげ
うろこ雲をみつめたりしている
立ち止まっては 野草がつけたたくさんの種を
珍しい昆虫か何かのように見入っているかもしれない
そして あと小一時間もすれば あなたは
琥珀色に輝く光となって流れる風の中で
ささやきを聞くだろう
「お茶の時間ですよ」
By Naomi Otsubo ©Naomi Otsubo 2013
8月6日のブログで紹介した Bates International Poetry Festival 2011 (ベイツ インターナショナル ポエトリー フェスティバル 2011)ですが、ロシア語、ドイツ語、スペイン語、フランス語、英語、日本語で詩が朗読されました。朗読というと静かなイメージしかありませんでしたが、
ロシア語の凍てつく広大な大地を踏むような力強さ、
スペイン語の連続平手打ちを食らっているようなパッション、
フランス語のおしゃれに気まぐれな抑揚、
英語の油断のできないシャープな流れ。
そこに、私のおっとりした日本語が加わって‥‥。
私は英語しかわからなかったのですが、それぞれの言語がもつ音としての魅力に目から鱗でした。
異彩を放ったのは、ドイツ語の詩人で、大学でドラマを教えている3カ国語がはなせるルーマニアの方だったのですが、これがまた芸術的で、詩で一人舞台をされました。椅子やテーブルをたたいたり、ピアノの鍵盤をつかうだけで、とても洗練された短いドラマを、詩でやってのけたのです。そのシンプルさときたら、ちょっと禅のような感じでした。
他の言語の朗読をきいてみて、日本語は、話し方にもよるものの、つくづくのんびり空をゆく雲のように角がない言語だと思いました。今回のヨーロッパ圏の言語の中では、調子のちがうエイリアン的言語にさえ感じ、今更ながらですが、日本語を音として好きになりました。
それぞれの詩人の朗読は、ベイツ大学の関連サイトでも動画でみられますが、その場の臨場感が動画となると感じられないので、ちょっと残念です。生はやはりちがうので、フェスティバルから2年近くになりますが、ときどき英詩の朗読会にいくようになりました。
フェスティバルに参加した各詩人の詩、およびその英訳、さらには詩の翻訳に関するエッセーなどをもりこんだ「Translation:Bates International Poetry Festival 2011」は、Apple iBookstoreから無料でダウンロードできます。次のリンクをクリックしてください。Translations – Claudia Aburto Guzmán & William Ash
by 大坪奈保美
世界から私を含む8人の詩人を招いて、2011年にアメリカのベイツ大学で、5日間にわたって「ベイツ・インターナショナル・ポエトリー・フェスティバル(Bates International Poetry Festival 2011)」が開催されました。その内容が、今回、上のようなスタイリッシュな本にまとめられました。
iPadをお持ちの方は、Apple iBookstore(Translations – Claudia Aburto Guzmán & William Ash)から無料でダウンロードしてご覧になれます。
5日間にわたるイベント中、8人の詩人は、ロシア語、英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語、日本語と、それぞれの母国語で各自の詩を聴衆の前でよんだり、ベイツ大学でそれぞれの言語を教えている教授やその生徒たちが、詩人の詩を英語に翻訳するなどしました。
本には、各詩人の母国語での詩、英語に翻訳された詩が入っており、私の11編の詩とその英語訳もはいっています。また、ベイツ大学の教授陣による翻訳に関するエッセーも含まれています。
そのエッセーの中に、私の詩の翻訳をしてくださった Sarah Strong教授による「Concisely Situated Meaning」というエッセーが含まれています。Sarah Strong教授は、数々の宮沢賢治の本を翻訳され、最近ではアイヌの知里幸恵と「アイヌ神揺集」についての本「Ainu Spirits Singing: The Living World of Chiri Yukie’s Ainu Shin’yoshu」を出版されています。
日本文化と詩に含蓄の深い Sarah Strong 教授が、エッセーの中で、日本文化の特徴とでもいうべき凝縮された詩を、どのようにときほぐして、かつ、また英語で短く編み込んで翻訳していくか、 松尾芭蕉の例をとって説明されています。さらには、フェスティバル参加の他の詩人の詩にくらべて、私の詩もほとんどが短いものでしたが、私の詩を訳すときに、どのような点に心を配って翻訳されたかにも言及されています。私自身も、詩人としてはありがたく、翻訳者としてはたいへん興味深く読ませていただきました。
詩に興味のある方、言語教育や翻訳に携わっている方には、なかなかおもしろい本だとおもいます。
「Translation:Bates International Poetry Festival 2011」
Apple iBookstore からの本の無料ダウンロードは、こちらの文字をクリックしてください。Translations – Claudia Aburto Guzmán & William Ash