日本の風景 ~ 遍路の今と昔

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©William Ash

四国遍路道は、88ヶ寺だけをめぐるならばおよそ1200キロある。整備された道や速乾の服、靴、レインギア、テントに寝袋といった近代的な装備のおかげで、速い人で40日未満、平均して50日ぐらいでまわれる。「歩き、祈る」という基本的なことは同じでも、100年ぐらい前は、100日ぐらいかかったそうだ。

下の写真は、1914年に出版された本、Nippon’s Lotus Ponds; Pen Pictures of Real Japan ( Matthias Klein著) に載っていた20世紀初頭の僧侶の遍路姿で、わらじをはき、ござや弘法大師の像を背負っている。さぞかし、たいへんなことだっただろう。shikoku_pilgrims_1914

30代のアメリカ人と日本人の夫婦遍路が、四国八十八ヶ所遍路道を奥の院や番外といっしょに3周した思い出をまとめた75日間の聖地巡礼日記
「空海の人びと」
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惑星都市 ~ Planet Tokyo

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©William Ash

都市ならば、やっぱりここが、いちばんすき。アメリカの東海岸側から、アメリカを横断した西海岸の、さらに向こうのToyoは、空にうかぶ惑星のよう。
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四国遍路道 ~霧の中の空海

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11番の藤井寺から12番の焼山寺までの山道は、遍路道随一の難所といわれている。私たちが歩いた日は、山全体が、霧につつまれたような日だった。

目の前にみえる細い道をひたすら歩き続けていると、階段があらわれ、その先には修行僧の姿をした空海の銅像が立っていた。浄蓮庵(一本杉庵)で、藤井寺から上り下りを8.8キロした標高745メートルのところにある。四国には、88ヶ所以外にも、弘法大師ゆかりのお寺や場所が数多くあるが、霧の朝、山奥のこの庵に着いて、その幽玄さに息をのんだ遍路は数知れないだろう。

四国遍路道を歩いて3周した30代夫婦の聖地巡礼日記
「空海の人びと」
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日本の思い出 ~ 東京の道 アメ横

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小屋のような店といい、人ごみといい、いかにも日本の昭和らしい情緒があふれている。お正月のおせちの材料を買いに、出かけたものだった。築地もアメ横も、欧米人にとっては、好奇心をそそるエキゾチックな観光地として人気があり、まわりが高層化されればされるほど、ますますその価値はあがっていく。古くて汚いようだが、実はお宝。だから、開発とかいって高層ビルなどにしたら、もったいない、もったいない。

欧米は、自分たちの大事な文化的地域、遺産は、しつこいぐらいしっかり、ちゃっかり守っている。建物ごと、守っている。森は一度失われると、同じ植生の森にはもどらないらしいが、「人間の森」もそれと同じであることを、悲しい過去に学んで知っているようだ。

 

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日本の思い出 ~ 東京の道 Shinjuku

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新宿のヨドバシカメラには、よくいった。そのあと、あたりをうろついて、夜のダウンタウンを楽しんだ。 今にして思えば、煩雑ながらも安全で、わりときれいと思える町だった。ビジネスマン、学生、OL、客引き、ティッシュペーパーを配る若者たち‥‥。寿司屋、うどん屋、ドラッグストアー、ラーメン屋、ゲームセンター,ビルに大学、デパート‥‥。欧米の美しい景観もいいけれど、新宿のように狭い場所にごちゃごちゃしながらも、共存していることに違和感のない町も、またなかなか。そういうことができるのは、ひとつの才能だと思える。映画のロスト・イン・トランスレーション(Lost in Translation)で新宿の町がでたときは、それはもう、うれしかった。町の景観はどんどん変わっていくものだけれど、いろいろな人やものが共存できる温かみは永遠であってほしい。

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四国遍路道 ~ 納経する人々

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四国の遍路道をまわったとき、納経をお寺でお願いした。納経帳は重いので、歩きの遍路にとっては悩みの種。でもごく稀に、ご住職が丁寧に書いて、「お気をつけて」という言葉を笑みといっしょにかけてくださったりすると、賞状を受けとる子供のような気分になって、ありがたくなったりする。流れるような黒文字をみると、遍路の疲れも、いっしょにどこかに流れていくようだった。

 

30代のアメリカ人と日本人の夫婦が、八十八カ所や奥の院、番外を訪ねながら
四国遍路道を歩いて3周した遍路日記をまとめた聖地巡礼メモア
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上高地と槍ヶ岳

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夏に、上高地から槍ヶ岳(3180m)をめざす人は多い。頂上部分は、槍のようにとがっているので、はしごを使う。

はしごを登っている途中で下を見れば、ゾロゾロと下から人が登ってくる。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のように、たくさんの人が、なにがなんでも頂上にいきたいのと、落ちたくないので、必死にはしごにしがみついている感じがしておかしかった。

槍ヶ岳に最初に登った日本人は、播隆(ばんりゅう)で1826年のこと。英国人ウォルター・ウエストンは、その66年後に登っている。播隆(ばんりゅう)は3体の仏像をおさめたといわれるが、今日は山頂には祠がある。

また、播隆(ばんりゅう)が修行したといわれる洞窟は、山頂から数百メートル下のトレイルの横にある。槍ヶ岳への登頂を、より容易にするために尽力をつくしたといわれる播隆(ばんりゅう)。「よくもまあ、こんなところで‥」といった印象をうけるほど、きびしい場所で、改めて昔の修行僧の志の高さを感じさせる。

今日では、一般人が色鮮やかな服装をして、ほがらかにその横を通過していく。まさに夢さながらの夏景色だ。

 

上高地と大キレット

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南岳と北穂高の間に、V字状に切れんでいるやせた岩稜帯「大キレット」がある。難易度は国内屈指。その長さはおよそ1キロ。ベテラン登山家でも、3時間半かかるといわれる。写真は北穂高(3105m)から撮った。

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