神々のいる所 ~ 瞑想

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©William Ash

宮崎駿氏の作品をみた人なら、繰り返し登場する「あるモチーフ」に気がつくはず。
そう、樹だ。天空の城ラピタ、となりのトトロ、もののけ姫などには、力強く空へとのびるりっぱな樹が出てくる。

古代の日本人は、樹木、とくに広葉樹には、天からの神々が宿っていると信じていた。大地にしっかりとはった根、空へと広げた枝々、風をうけ、太陽の光を浴びながら、人間よりもはるかに長い時を生きる樹木。これが「神性なるもの」でなくて、なんであろう。インドの詩人で、アジア人ではじめてノーベル文学賞を受賞したタゴールは、樹をこう謳い上げた。

地球は 樹々を通して
絶え間なく 天に話しかけ
天も それを聞いている

 

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悟り

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©William Ash

禅では、人は少しずつ悟りに近づくのではなくて、突然、悟りというものが雷のように来るという。鈴木大拙は、「自分の本質を見るような」、「生まれる前の本来の顔を見るような」、「カラスの鳴き声が聞こえる前に聞くような」「神が『光りあれ』と言う前から神といるような」経験だと言った。写真は、宮島でみかけたびんずる様だ。びんずる様については、ぜひこちらを見てください。

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日本の風景 ~ 遍路の今と昔

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©William Ash

四国遍路道は、88ヶ寺だけをめぐるならばおよそ1200キロある。整備された道や速乾の服、靴、レインギア、テントに寝袋といった近代的な装備のおかげで、速い人で40日未満、平均して50日ぐらいでまわれる。「歩き、祈る」という基本的なことは同じでも、100年ぐらい前は、100日ぐらいかかったそうだ。

下の写真は、1914年に出版された本、Nippon’s Lotus Ponds; Pen Pictures of Real Japan ( Matthias Klein著) に載っていた20世紀初頭の僧侶の遍路姿で、わらじをはき、ござや弘法大師の像を背負っている。さぞかし、たいへんなことだっただろう。shikoku_pilgrims_1914

30代のアメリカ人と日本人の夫婦遍路が、四国八十八ヶ所遍路道を奥の院や番外といっしょに3周した思い出をまとめた75日間の聖地巡礼日記
「空海の人びと」
電子書籍ソフトカバー本で発売中。

四国遍路道 ~霧の中の空海

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11番の藤井寺から12番の焼山寺までの山道は、遍路道随一の難所といわれている。私たちが歩いた日は、山全体が、霧につつまれたような日だった。

目の前にみえる細い道をひたすら歩き続けていると、階段があらわれ、その先には修行僧の姿をした空海の銅像が立っていた。浄蓮庵(一本杉庵)で、藤井寺から上り下りを8.8キロした標高745メートルのところにある。四国には、88ヶ所以外にも、弘法大師ゆかりのお寺や場所が数多くあるが、霧の朝、山奥のこの庵に着いて、その幽玄さに息をのんだ遍路は数知れないだろう。

四国遍路道を歩いて3周した30代夫婦の聖地巡礼日記
「空海の人びと」
電子書籍ソフトカバー本で発売中。

四国遍路道 ~ 納経する人々

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四国の遍路道をまわったとき、納経をお寺でお願いした。納経帳は重いので、歩きの遍路にとっては悩みの種。でもごく稀に、ご住職が丁寧に書いて、「お気をつけて」という言葉を笑みといっしょにかけてくださったりすると、賞状を受けとる子供のような気分になって、ありがたくなったりする。流れるような黒文字をみると、遍路の疲れも、いっしょにどこかに流れていくようだった。

 

30代のアメリカ人と日本人の夫婦が、八十八カ所や奥の院、番外を訪ねながら
四国遍路道を歩いて3周した遍路日記をまとめた聖地巡礼メモア
「空海の人びと」
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ふとん太鼓 〜 祝う

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大阪堺市の百舌鳥八幡寓で行われる月見祭りは、長い間、住民の間で守られてきた地域のお祭りだ。9月か10月の満月の週末に行われ、九つの町が参加して、壮麗な九つのふとん太鼓が出る。それぞれの太鼓を担いで練り歩くのには、少なくとも100人以上が必要で、担ぎ手や応援する人々をみていると、住民の繋がりの強さが感じられてくる。

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熊谷寺, 八番札所—四国遍路

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熊谷寺は、その名前ほど、恐ろしいところではない。むしろのどかなお寺で、小さな谷の端にある。写真の右は本堂、左の階段は大師堂へと続いている。

鐘撞き堂で鐘をつきながら、私たちは、あるアメリカ人夫婦のことを思っていた。まだ遍路道ブームがおこる前の90年代、かれらは遍路道をテントをかついで歩いて巡り、この鐘撞き堂では、住職から許されて一夜を過ごした。そう‥‥、かれらこそ、私たちが遍路道を歩くきっかけとなったのだった。

 

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四国遍路道を歩いて3周した遍路日記をまとめた聖地巡礼メモア
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四国遍路道

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この冬は、「四国遍路道」写真集の作製をしていて、四国遍路の日記を見直している。一周あたり、歩いて平均50日ぐらいかかる。写真の笠に書かれている「同行二人」は、「弘法大師といっしょに二人で歩む」という意味で、私たちは弘法大師とともに「世界平和」を祈りながら3周した。

遍路中は、テレビの放送とは似ても似つかない光景をみて、いろいろな思いが心をよぎった。でも、1周目(1998年)が終わったときは、さすがに驚いていた。この道を守ってきた、ふところの深い慈愛に満ちた精神は、どこから来ているのか?

歩き終えたときには、「人生そのものが遍路道、日常生活もまた遍路道」という、当たり前の思いをもって家路につく人が多いというが、確かに、あれだけ体も使って歩けば、どっかに意識だけが飛んでいってしまう妄想人間は、遍路道からは生まれないだろう。

ただ困ったことに、普通の生活にもどっても、どこへでも歩いていこうとする。どこへでも歩いていけると信じている。バスも電車も目に入らず、ただモーレツに歩きたくなる。喜んだのは犬で、それまで15分だった散歩が、2時間、3時間になった。いっしょに歩いていた空海が、今度は、愛犬になったような気がした。

でも、今はメイン州の冬の中、あまりに寒すぎて歩けな〜い。

 

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男たちのふとん太鼓

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私たちは夫婦で四国遍路道を、3周ほどしたことがある。体力があった時のことだが‥‥。また、大阪の堺市に住んでいろいろな文化行事を楽しむことができた。今、アメリカの北東岸の隅っこの田舎に住んでも、ホームシックにかかったことがないのは、こうして前に日本に延々と脈づいてきた文化を、十分に楽しむことができたからだと思うことがある。

関西といえば、大阪の堺市の百舌鳥八幡寓の月見祭りは、地に足がついたすばらしいお祭りだ。行政に頼ることなく、9つの町が大切にこの祭りを続けている。町ごとに美しいふとん太鼓をもち、町内のおじさんや青年たちが、編成をくみ、一組あたり50から70人で2.5トンのふとん太鼓を運ぶ。しかも、運ぶだけでなく、お囃子を歌いながら練り歩き、ゆすったりして、房の触れ方の壮麗さを競う。

中でも、本堂へと続く神社の階段になると、担ぎ手の表情が変わる。バランスを注意深くとってふとん太鼓を担ぎながら、危険な階段を数回も往復してみせてくれるのだ。その真剣さたるや、見ている方の顔色も変わってくる。

担ぎ手のこうした一致団結した姿をみていると、観衆のなかの若者たちが、「俺も、かつぎてぇー」とため息をもらしたり、女の子がボーイフレンドに「あんたもいって、ちょっと担がせてもらいー!」などと言っている声が聞こえてくる。

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亡者送り ~ 新年の祈願の締め

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東京の浅草寺では、1月18日に亡者送りがおこなわれる。夕刻、堂内、境内の灯りがすべて消され、あたりは真っ暗となる。そこに突然、本堂の奥から鬼の姿をした二人の僧侶が、大きな松明をもって出てくる。松明を床や地面にたたきつけながら、境内を一気に抜け、近くの銭塚地蔵堂脇の小さな穴に松明を投入して火を消す。悪霊を鎮める儀式で、あっという間の5分ぐらいで終わる。除災招福祈願の新年行事の締めとして行われる。

鬼はひとりは赤、もうひとりは青の衣装をまとっている。松明の火の粉をあびたり、灰をもっていると、健康と金運に恵まれるといわれている。そのため、鬼ごっこどころか、危険もかえりみずに、逆に鬼を追いかけていく人も多い。