「瞑想」カテゴリーアーカイブ
メイン州の初秋
初秋は、好きな季節だ。りんごの収穫がはじまり、それでいて、庭にはまだトマトがなっている。しかし、なんといっても美しいのは森。深い琥珀色と赤色にそまる晩秋の森もいいが、鮮烈なイエローとゴールドカラーが、まだ緑色のままの木々の間で生き生きと生える初秋の森の姿は、命そのものにあふれている。
*写真について
ドキュメンタリーの写真を撮ることをしてきたので、このブログにのせる写真も、カメラのフルスクリーンに映ったものそのままを載せています。画像のコントラストに手を加えるぐらいのほかは、クリッピング、加工や修正等は一切していません。
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記憶 Part 1
このところ、記憶と家系について想いをめぐらせている。自分は、拡大家族という大所帯の家族構成から抜けでた世代だ。祖父母と曾祖父母の品物をいくつか受け継いできたものの、彼らの記憶は、漠然としたものしかない。彼らがどんな人たちだったのか、話は聞いてきた。しかし、私には、ほんのひとにぎりの遠い記憶しかなく、断片的だ。今ではみんな、亡くなっている。残されたものは、こうした彼らの物だけである。下の写真は、現在、製作中のプロジェクトからのものだ。
母方の祖父が使っていた小さな万力というもので、工作物を挟んで固定する道具である。祖父はカナダのノーバスコシアで、ボートを作っていた。背が低く、無口で、厳格な人だったのを、なんとなく覚えている。あまり話をした記憶はない。
ただ、いっしょに遊んでくれた記憶がひとつある。祖父が、自分の杖の持ち手を私の足首にひっかけては、私を転ばせた。幼い私は、声をあげて笑った。こんなことを数分の間、私たちは繰り返したのだった。