不毛な砂地

life_in_maine_barren_landscape

©William Ash

最近、アート、とくに写真における自然保護について話をしたりすることがある。そのたびに、「今のアートの世界は、この世界とその美に飽きているなぁ」と感じる。

写真は、真実ではなくてフィクションであると歌い上げて、そのアイデアをやみくもに崇拝している。まるで自己陶酔的な現代に同調しているように見える。この世界を奇抜なところに見せたり、深遠なものを陳腐なものとして表現するために、写真が利用されている。

アート以外のカルチャーでも、この世界に飽きてしまったのか?

興奮ばかりを追い求める中毒患者のように、目新しいこと、なにか奇妙で変わったことばかり探している。すぐに気を引くようなものがなければ、他へ移ってしまう。 広告写真のせいで、人間は、一目でパッと理解するか、喜びを感じるものをほしがるように条件づけられてしまったのか?

上の写真は、ベイツモースマウンテン保護地区のシーウォールビーチにそって広がっている砂丘だ。陸の有機堆積物が、風と水が運命をまかせて、細やかな砂丘の砂となった。植物は、こんな不毛な場所でも進化し、侵略し、砂丘が風や水で動かないように押さえている。厳しい冬になっても、しっかりと砂をにぎりしめている。今の茶色から、夏に緑色になったときでも、それは美しい。

 

夏を待っているもの

life_in_maine_waiting_for_summer公園のあちこちには、夏には人間がいることを示す証拠があるものの、メイン州の冬は静か。みんな、フロリダに南下してしまったのか。(リード州立公園のグリフィスヘッドにて撮影)

彼と、彼女と見た水平線
どこかの大地の先に立ち
彼らは今も
かなたを見つめているだろうか

 

 

陸のやわらかな端

life_in_maine_beach

©william Ash

ごつごつした花崗岩の岩場がほとんどのメイン州の海岸線にあって、リード州立公園には長い砂浜がある。この砂浜に立つと、陸と海の境目のあいまいさ、柔らかさに目をみはってしまう。冬の海なのに、優しい気持に包まれる。

聖夜に天のイルミネーション

life_in_maine_xmas_night

©William ash

クリスマスの夜にデッキに出てみれば、とても大きな月輪が、満月のまわりに輝いていた。紺青の天に、だれかが点火したような輝きだった。星も見え、月輪の4時の方向にはオリオン座が見えた。例年なら氷点下の最高気温が、今年は13℃のクリスマスとなったメイン州中央部。薄着のままでたくさんの人たちが、この突然の天のイルミネーションを仰いだことだろう。