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これは、1995年に神田の古本屋街でMamiya 6 を使って撮った一枚。もちろんフィルムカメラ。自然環境を考えると、出版としては、電子書籍以外の選択肢はもはや残されていないように思われる。古本も、消えていくのかもしれない。でも、古本の匂いや、日焼けしたカバー、手あかや染みといった人間臭さや時の経過、人が何かを学ぼうとした熱意が、一冊の古い紙の束をとおして人から人へ伝わってくるあの感覚が、電子化によって消えていくかと思うと、寂しい気がする。せめて、今、自分の本箱にある紙の本は、大切に持っていようと思う。
「日本人は、子供を愛しているね。
大都会でさへも、たくさんの運動場や公園が作られているからね。
それにしても、こんな不思議な公園は見たことがない。」
今から18年ぐらい前、東京を歩き回ってこの公園にたどりついたとき、アメリカ人の夫がびっくりしてそう言った。ところが、実は私は、40年以上も前にこの公園でよく遊んだのだった。
「もう授業はやめて、タイヤ公園にいくか!」
お天気のいい日に小学校の先生がいってくれると、待ってましたといわんばかりに「ワー!」とみんなが声があげた。一列になって歩いて、10分もかからないこの公園にきて遊んだ。
どこもかしこも砂場。あるのは大きな滑り台と古いタイヤぐらい。
タイヤからタイヤへ走り回り、滑り台を一気にすべっては、また走る。
転んでも、ぶつかっても、ゴムのタイヤ。
自分がゴムボールみたいになって跳ね返される楽しさよ。
50代になって、改めてこの写真をみると思う。
年をとると、人間は何かを残したいと思うようになってくるが、
こんな洗練された公園を残せたら、どんなにステキなことだろう。
どこがどう楽しいのか、なにがこうも嬉しいのかわからないけれど、
年をとってからも思い出して、また笑いがこぼれるような、
そう簡単には解けない不可思議な魔法を、
差別することなく、訪れる人にかけてくれる公園、
いったい作った人は、当時、何を見ていたのだろう?
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神社は大好き
長い参道を歩くと 迎えられているような懐かしい気持ちになっていく
大きな木をみると 優しい気持ちになる
お祭りがあれば屋台がでて 大人も子供もみんなが楽しそう
だから神社は大好き
でも わからない
鳥居の内は聖域で 外は聖域じゃない
ということがわからない
神道は八百万の神であり
すべてに神の命が宿るんじゃなかったかしら?
聖域じゃない場所があって いいのかしら?
そんな世界があると 認識していいのかしら?
認識すればするほど その存在は強固なものになるんじゃないのかしら?
鳥居よ なぜ在る?
優美で均整のとれた形がもつ侵しがたい強さは どこから来た?
本当は 何を 守っている?